舞台は越後妻有(えちごつまり)の里山。この雪深い村に都会から移り住んだ木暮さん夫婦は、茅葺き屋根の古民家を修復し、見よう見まねで米を作って暮らしてきた。ゴリゴリと豆を挽いてコーヒーを淹れ、野山の恵みを食卓にならべる。草木染職人の松本さんは、山桜で染めた糸を夫婦並んで手織りする。色鮮やかな着物が仕立てあがるころ、娘さんが成人式を迎えた。
悠々自適、気ままな田舎暮らしに見えるけれど、ときに自然はきびしい。冬ともなれば雪がしんしんと降り続け、来る日も来る日も雪かきに追われる。ひとりでは生きられない。茅葺きや稲刈りも協働作業だ。木暮さんのまわりには不思議と個性ゆたかな仲間が集まり、ことあるごとに囲炉裏を囲んで宴がはじまる。歌と笑い、もちろんお酒もかかせない。そうやって、ここでは新しいかたちの「結(ゆい)」がゆるやかに息づいている。
ある春の朝、大きな地震がおきた。木暮さんの家も全壊したが、彼は再建を決意する――。
手間を惜しまず丹念に育てられた米や野菜が、私たちの日々の暮らしを彩るように、心をこめて作られた一本の映画が、人生のたいせつな糧となることがあります。『風の波紋』は、『阿賀に生きる』『阿賀の記憶』のスタッフたちが5年の歳月をかけて、じっくりと作りあげた映画です。ぜひ劇場のスクリーンでご堪能ください。
多い年には積雪が4mを越えるこの地域では「雪おろし」のことを「雪掘り」と言う。昔はヘラのような形をした木製の「こしき」が除雪作業に使われていたが、その後金属製のスコップに、さらに効率的な「スノーダンプ」が登場した。冬の労働の多くが除雪に費やされ、高齢化が進むこの地方では作業中の落下事故も絶えず、若い労働力が求められています。
草を材料として葺かれた屋根の総称。地域によって葦(よし)が使われるところもあるが、この地域をはじめ一番有名な材料がススキ。断熱性と通気性を兼ね備えた雪国の生活様式に合った屋根だが、維持には協働作業が欠かせないため、近年は激減。文化財として保存活動が各地で始まり、専門の業者もある。木暮さんたちは「茅屋」というグループ名で地域の茅葺きの修繕作業を進めています。
2011年3月12日午前3時59分頃、長野県栄村と新潟県津南町の境を震源とするM6.7の大地震が発生。前日に起きた東日本大震災の直後であったため、大きな注目を集めることはなかったが、撮影現場を含む広い範囲で震度7相当の揺れであったと推定される。全半壊の住宅被害は397棟、一部損壊も含めると2,424棟が被災。幸いにして直接の死者は出ませんでした。
気候風土や田の性質によってその植え方は多様。後ろに下がりながら植えるか、前へ進みながら植えるかだけでも様々な議論がある。新潟の平野部では品種改良の進んだコシヒカリの苗を5月の連休頃から植えるのが主流だが、まだ雪の残る山間部では6月に入ってからになることが多い。昭和40年代に田植機が開発されるまではどこでも手植えをしていた。木暮さんの田んぼでも小型の田植機を試したことがあるが、昔ながらの細切れの棚田であることや水管理の問題もあり、機械トラブルが多く、今は全て手植えに。このように何か予めポリシーを持って有機無農薬での米作りを進めているわけではなく、農薬も使い方が分からないという理由で使っていない。収量を多くすることにも特にこだわらず常に気持ちのいい米作りを心がけてきた結果、全て手作業での米作りにたどり着いたというのが実際のところのようです。
作家の山崎斌(あきら)氏によって1930年頃に命名。その後、子息の山崎青樹氏とともに研究を進め、登録商標もされました。(現在は権利を放棄されています)天然の素材を用いて染色することの総称。一般的な方法としては草木を煮て色素を抽出した液に繊維を漬けた後、灰汁(あく)ミョウバンや酢酸鉄などの媒染液に入れて固着、発色させます。(藍やクサギの実などのように媒染を要しないものもある)これを何度か繰り返しながら色の濃さを調整します。植物は季節や育つ環境によっても色素の含有量が異なるため、同じ色の再現は困難。合成染料に比べ、時間や手間が掛かるため、大量生産には向きませんが、環境に対する負荷は低く、様々な色素が複雑に融合した深みのある色はとても魅力的です。
この地域に昔から住む人々はお互いに屋号で呼び合う慣わしとなっている。屋号とは、それぞれの「家」に付けられ、代々受け継いできた名前。例えばこの映画の中で家を解体する「長作さん」の本名は倉重徳次郎、屋号が長作である。家の解体の決断をするということは、何百年にもわたって続いてきた「長作」という屋号がなくなることを意味します。
木暮さん宅の完成祝いのシーンでは、出席者が入れ替わり立ち替わり歌を歌い合う場面がある。昔は歌合戦で勝った男性が、村の女性たちの人気者になるといったことも多かった。ほかに男女関係が発展する機会としては盆踊りが有名で、出演者の今井さん(新潟ヤギネットワーク)や高波さん(尺八奏者)などはその昔、集落ごとに異なる唄・踊りを全て覚え、盆踊りの時期には村から村へとハシゴしてまわり、一世を風靡したそうです。